不法行為の主体としての企業の登場

 

 個人の自由活動の領域をできるだけ広く認めようとする市民社会の理想は、資本主義社会の前提となる自由な経済活動を支え、現在の資本主義・自由主義社会の基礎を作り上げた。 過失責任を原則とする民法の不法行為の規定も、この市民社会の理念に根ざしていることはすでに述べたとおりであり、そこにおいては、不法行為の要件を厳格に定め、また解釈することにより、法人を含む個人の自由を保障することが必要であった。

 しかし、近年の資本主義の発展とテクノロジーの急速な進歩にともなう産業の著しい発展と社会の工業化・情報化の進展は、生活上の便宜を提供するとともに、かっては保護の対象とならなかった精神的ないし人格権的な利益を保護の対象として浮かび上がらせた(人格権に基く差止訴訟)。また、社会活動の単位が個人から集団・企業体に移り、これにともなって、侵害の主体・賠償の主体としての企業を登場させることになった。

 消費者と生産者が分離し、高度な技術の下で大量生産・大量消費される現在においては、消費者は、日常生活のほとんどすべての物を、大量生産する企業の供給に負っていて、個人でその安全性を検討する可能性はほとんどない。 しかも、現在のように企業活動が複雑・巨大化・高度技術化すると、もしこの製品の生産ないし供給過程に瑕疵(かし、「傷」の意)があって、消費者に損害が生じた場合、その生産供給活動のどの過程で、誰の過失があったのかを立証するのは、ほとんど不可能である(製造物責任)。 さらに、大量生産・大量消費であるがゆえに、製造過程の瑕疵で製品に欠陥があった場合、損害もまた非常に多くの人に対して生じる(森永砒素ミルク事件等の食品公害、スモン事件等の薬品公害)。 また、企業の生産設備等の巨大化にともない、その周辺に与える影響もまた大きくなった。 工場の廃液によって流域住民の健康が害されたり(水俣病、イタイイタイ病事件)、工場一つ一つの排煙では問題がなくとも、コンビナート等巨大な工場群がおかれることによって、風下の都市に喘息患者が大量に発生したり(川崎・四日市等の喘息事件)という環境汚染型の公害も生じるようになった。

 さらに最近では、地球規模での環境問題の発生と、環境保護に対する意識の高まりの中、単に公害という環境破壊のみならず、より広く、さまざまな環境保全のための動きが法律問題となるようになった。(環境基本法)

 

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