知的創作物に関する権利の歴史 

 特許権 10世紀にイランで発明された風車を14世紀にベネチアに導入するため、都市国家ベネチアが技術者に特権を与えて建設し、これを外来技術の導入方法として制度化したものから始まるといわれる。当時強かったギルドの規制に対抗するため、国家(都市)が特定の人間に保護を与え、産業を促進することを目的とした。

 その後、グーテンベルクにより印刷術が発明されたが、やはり筆写工等のギルドの強い都市で印刷が行えなかったため、国家(都市)権力の強いベネチア等で発展した。著作権につながる印刷物特権が成立したのも15世紀のベネチアであり、さらに当地で1545年に、著作者の許諾なしに印刷してはならないという著作権法が成立した。

 意匠権 デザインの保護を目的とする意匠権の成立は、18世紀まで遅れる。中国からイスラム、トルコ、イタリアを経て伝わった絹織物は、フランスのリヨンで保護を受け、一つの繁栄を迎えた。そこでは、同業組合の事務局に原本または見本を寄託することにより、意匠を保護することがなされていたという。ただし、フランス革命による同業組合の廃止にともない、この制度も廃止された。 意匠を対象とする最初の法令は、イギリスの1787年の「亜麻布、綿製品、キャラコ及びモスリンの意匠及び捺染の技術に関する権利を一定期間、創作者、捺染者及び保有者に与えることによって、これを振興するための条例」にみられる。

 商標権 商標(トレードマーク)等の不正使用を刑罰等を持って禁止するのではなく、それ自体に財産的価値が認められるようになるには、商業の自由の確保がその前提となる。第三者の競争への参入が自由に認められる場であって初めて、先行者がその営業努力で獲得した信用、顧客等を、不公正な手段で害するような新規参入者の行為が問題となる。最も典型的な例は、偽ブランド商品である。

 この意味で、営業商標に関する権利が認められたのは、19世紀である。しかし、各国の法体系は国によって異なり、しかも自国産業保護の色彩が強かったため、属地主義ないし所在地法の原則を採用した。このため、商標等の保護を外国で受けようとする場合は、それぞれの国ごとに出願し、それぞれの異なる手続で登録を受けなければならず、保護の内容も異なっていた。

工業所有権に関するパリ条約・著作権に関するベルヌ条約 ー 商品は、ある特定の国で生産されても、現在においては、世界各地で取引され、競争も国際的な規模でなされている。このため、商標権の内容も、保護の態様も国際的に統一される必要が生じる。製品生産の前提となる特許権・意匠権、さらに、文化的所産の保護を目的とする著作権についても同様である。

 前者に関しては、1883パリにおいて工業所有権保護同盟条約が、後者に関しては、1886ベルヌ文学的及び美術的著作物保護に関する条約が結ばれ、この条約に基いて各国で立法がなされ、統一ルールの形成を目指して国際化を進める方向に進みつつある。

 サービスマーク 第三次産業の進展を背景に、1958年、パリ条約のリスボン改正会議でサービスマークに関する保護が入れられた。同条約6条の6に規定されるもので、サービス業者が自己の提供するサービスを他人のサービスと識別するために使用する営業標識であるサービスマークにも、保護が与えられることとなった。

 実用新案 日本においては、さらに、意匠と発明の中間に位置するするものとして、実用新案権がある。

 

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