利用者800万人

 「金もうけでなく、個人的な誇りを満たすためにやっている。マイクロソフトは何年後かに基本ソフト(OS)事業を放棄するかもしれないね」。リーナス・トーバルズ氏、フィンランド生まれの28歳。ひざの上で子供をあやしながら、過激な言葉をさらりと口にする。シリコンバレーの半導体会社に一プログラマーとして勤務している。

 同氏が学生時代に開発した基本ソフト「Linux(リナックス)」はワークステーションやパソコンなどを動かす心臓部のソフトとして爆発的な勢いで普及、利用者は企業を中心に推定800万人を突破した。11月初めにはLinuxが「ウィンドウズ」の独占的シェアを崩す最大の脅威であることを分析したマイクロソフトの機密書類がインターネット上に流出、巨人の動揺ぶりが白日の下にさらされた。

 Linuxはフリーウエアと呼ばれる無料ソフト。ネットを通じ、だれでも手元のコンピューターに取り込める。無料ソフト自体は珍しくないが、Linuxが注目されるのは世界中の優秀なプログラマーが無償で開発に参加する新たな協業の型を確立したからだ。

 トーバルズ氏はネット上にソフトの「設計図」を公開、互いに顔も知らない腕利き技術者がネット経由で寄ってたかって改良していく。1万人の開発要員を抱え、ストックオプション(自社株購入権)を柱にした競争至上主義で走るマイクロソフトに対し、数万人の英知を対価なしに結集、使いやすさや安定性で高い評価を得た。

開発に顧客参加

 経営コンサルティング会社アーサー・D・リトル(ジャパン)の佐々木裕一氏は「技術者は会社という階級組織では得られない充足感を求め、無償で開発に加わる」と指摘する。デジタル時代の公共財であるOSのマイクロソフト支配を崩そうと、世界中の技術者が「無償の革命」に参加した。

 エクソンとモービルの合併など世界的な企業再編が加速しているが、価値を創造する人間の集合体を会社と定義するならば、Linuxは地球規模の「新しい会社」と言える。「金銭報酬なしにプロの仕事はできないとビル・ゲイツ氏は言うが、そんなことはない。重要なのはやりがいだ」(トーバルズ氏)

 もちろん「ただ働き」がビジネスの主流になると見るのは乱暴だろう。慶応大学大学院経営管理研究科の国領二郎助教授は「無償、有償という価値観は必ずしも対立的でなく、補完的」とみる。現に両者を融合させる動きも出てきた。

 松下電器産業が96年6月に発売した小型ノートパソコン「レッツノート」。販売累計20万台を超すヒット商品の開発に、顧客参加手法を取り入れた。顧客がパソコン通信の電子会議室で交わす製品批評を毎朝5時半にチェック、即座に改良などに生かす。キーボードの不具合発生を朝1番で知り、当日昼までに工場検査を終えたこともある。

 特定顧客10人に社員証を渡すと、喜んで無報酬で企画会議や製品マニュアル作成に加わってくれた。「社員と顧客の境界線をなくし、ニーズを的確に取り込む」(米山不器・松下電器モバイルコンピュータ事業センター所長)

 

日本経済新聞 1998年12月6日(日) 「日本経済新聞1面企画」

特集「新しい会社」 第6部 「理想へ走る」 より   

 

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