-第4章- マルチメディア時代の新たな現実

    デジタル化とマルチメディア

 試みに、妻に「マルチメディア」と「デジタル化」の意味を聞いてみた。答えを聞いて慌てて一章追加することにした。

マルチメディアという言葉がいろいろなところで目にするようになって久しい。しかし、この言葉の意味するところは使う人によって違い、理解しづらい言葉である。私は、その本質は、「デジタル化によるメディアの融合」にあると考えている。

− 情報のデジタル化

 画像、音楽、文字、果てはお金に至るまで、さまざまな情報がデジタル化されている。つまり、コンピュータで処理できる01信号になっている。最初はレコードがCDになり、カセットテープがMD(ミニディスク)やDAT(デジタルオーディオテープ)になった。カメラもデジタルカメラが普及し、フィルムを買う必要もなく、取った写真をその場で見ることもできる。

 ヴィデオもDVDに変わろうとしている。出版物もコンピュータで作られ編集されるようになり、印刷前は01信号のデジタル情報である。これらは「情報自体のデジタル化」である。これらデジタル化された情報は、すべてコンピュータで扱えるようになる。極端な話、DVD一つあれば、映画も音楽も書籍も全部これに載せることができるのだから、本屋さんもCDショップもヴィデオショップも全部DVDショップにまとめてしまうこともできる。

− 情報媒体のデジタル化

 さらに、電話やテレビといった情報を伝達する媒体もデジタル化された。(もともと電話は幹線部分はデジタル信号で送られているのだが、末端部分でわざわざアナログ化されていた。)そしてこれは、コンピュータのネットワークであるインターネットに載せることができるようになる。

 今では、インターネット経由で電話をし、テレビを見、ラジオを聞くこともできる。CDを買わなくても好きな曲だけをインターネット経由でダウンロードすることもできれば、銀行に行かなくても手元のパソコンや携帯電話で振込をすることもできる。
 ネットワーク化されたコンピュータ一台あれば、これらすべての情報を扱うことができ、電話・ラジオ・テレビといったような装置の区別が曖昧になるだけでなく、通信と放送の区別もなくなってくる。ラジオのアンテナを立て、テレビのアンテナを立て、電話線を引いてという引越しの恒例行事をしなくても、高速な光ケーブル一本あれば、CATVでテレビを見ながら、好きな音楽を音楽サイトからダウンロードして好きなCDを自分で作り・・・・・・。
 こうなってくると、DVDショップすら不要になり、映画や本、音楽といった情報をダウンロードして、自分のDVDなりCDRW(書き込むことのできるCD)に記録すればよくなる。本を寝転がって読みたい人は、途中、簡易製本所を通して、買った情報を好きなように製本してもらえばよい。音楽を持ち歩きたい人は、メモリースティックでもMDでも好きなものに入れて持ち歩けばよい。流通経路を省略し在庫の心配もないデータの購入であれば、経費も節約でき、単価も安くすることができる。

 さらに、コンピュータでなくとも、携帯電話や車もコンピュータ化されているから、これらの情報を扱うことができるようになった。若者は携帯電話でメールを送り、家賃の振込みを済ませ、最近では音楽もダウンロードしている。キーボードの嫌いな年配の人も携帯や、テレビに載せるセットトップボックスで株のデータを集め、売り買いしている。カメラつきの携帯電話もでき、これから先何がどうくっつくことやら予想もつかない。デジタル家電が普及してインターネットでつながると、エアコンを携帯から設定したり、不審な訪問者がくると携帯が鳴り、玄関の画像を送ってきたり、冷蔵庫の中身を携帯でチェックしたりできるようになる。ウェアラブルPC(身に付けることができるパソコン)が一時期話題になったが、iモードで始まった携帯電話の情報端末化はまさにその世界を実現し、さらに進化している。

 唯一ネックになっているのはネットワークの遅さだが、光ケーブル等、次世代インターネットの普及と共にこれも解消されていく。

ネットワークの話しが出たついでに、現状に一言触れておこう。

 一九九九年に郵政省(当時)はCATV(ケーブルテレビ)利用促進施策をまとめ、CATVのデジタル化、光ファイバー化、広域ネットワーク化を打ち出した。ねらいはCATVを高度化しネットワーク化することにより、NTTのような通信事業者に対抗することができる「足回り回線」を持つ広域ネッワークを作り上げることにある。いわば、ケーブルテレビの全国的なネットワーク網による情報回線作りである。すでに杉並ケーブルテレビ等で実用化され、二〇〇一年四月からはフュージョンがインターネット経由の電話を展開する。将来は、電話はインターネットに吸収されていくだろう。

 従来からある通信事業者のNTTでも、すでに音声通話よりも情報通信のデータ量の方が多くなっている。この流れを受けて、「通信業から情報流通業への脱皮を図る」ことを宣言し、光ケーブル通信網の各家庭への接続の計画を前倒ししている。
 光ケーブルが各家庭に入るまでの過渡的なものとして、従来のアナログ電話回線の高周波帯域を利用した高速通信技術である「xDSL」も普及し、利用できない場所では通信衛星を利用したインターネットも使われている。各家庭レベル、LAN(ローカルエリアネットワーク)レベルでは、無線ランや電気の配線を使ったLANも実用化され、さらに送電線を使ったインターネットも試験されている。一体どれが主流になるのか判らない状態だが、遅くて高いデジタル電話回線を利用したISDNから、次世代の高速インターネット網ができたとき、電子商取引を中心に、良い悪いは別として、社会は大きく変わっていくことだろう。確実にいえることは、マスコミ風に表現すれば、「ホームページと電子メールの特殊な社会」と理解されているインターネットが、道路や鉄道、通信網のような「社会的インフラ」と理解されるようになるということである。

   しかし、このような社会の変貌は、法制度にさまざまな対応を迫ることになる。

 例えば、音楽の情報をダウンロードして電子マネーでお金を払った場合、一体何を購入して何を支払ったことになるのだろう。個人と個人の間の法律関係を規定する基本の法律である民法は、現金の支払いしか想定していない。また、「物とは有体物をいう」として、情報自体の売買も想定していない。かりに、情報自体を買ったのだとすれば、買った情報を他人と交換したり売ったりすることは自由であり、インターネットを通じて交換しても問題はないはずだが、これを認めると、実質的に著作権を侵害することになりかねない。というのもデジタル化された情報は、その特質として、コピーを取るとすべてがオリジナルになってしまうからである。アナログ時代のようにコピーによる質の劣化がないため、まったく同じものができてしまう。

 さらに、書面や印鑑を求める社会習慣、法制度にも、大きな変貌を求めることになる。これからインターネット上で大きく展開されると予想されている「電子商取引」も、相手の姿が見えない仮想空間での取引だから、ほんとにその相手が存在するのかどうか、その人が間違いなく本人であるのか、相手との間である時点で一定の内容の契約を本当に交わしたのかといったことが問題になってくる。

 次章からは、これらの法律問題を一つ一つ採り上げて考えてみよう。