-はじめに-

    「インターネットのことはインターネットに聞け!」
「主婦に広まるネット不倫」
「ブルセラから警官の制服まで − ネットオークションの実態に迫る」
 − 三流週刊誌の表題ではない。夕方のニュースの特集に躍る文字である。

 研究機関のネットワークとして発展してきたインターネットは、マスコミの不勉強(失礼!)と商業主義で、すっかり「悪の巣窟」にされてしまっているようである。
新聞の商業主義は、明治以来、政党新聞から論説新聞を経て現在の商業新聞(赤新聞)しか生き残れなかった歴史から来るから仕方がないとしても、テレビニュースまで新聞の影響を受けてしまったのかとため息が出る毎日である。資本系列が同じでは仕方がないのかもしれない。研究機関に所属してインターネットの恩恵にあずかりながら、その可能性を息を呑みながら見つづけている身としては、忸怩(じくじ)たるものがある。

 この本の目的は、「インターネットとは何なのだろう」ということを、一人の法律家の目を通じて考えてみることにある。
その答えは書かれていない。インターネット自身が刻々と形を変え続けているからであり私自身、どう変わっていくかを毎日驚きを伴いながら見続けているからである。

   当初、「研究機関のコミュニケーションの場」に過ぎなかったインターネットは、いつの間にか「世界中のコンピュータを繋ぐ壮大なコミュニケーションの世界」に広がった。それだけでも驚くほどの変貌だったが、デジタル化とマルチメディアの発展、さらには電子商取引が広まるようになって、「社会のインフラ」になろうとしている。
 私自身、初めはパソコン通信で日本中の人と囲碁を打てるようになって喜んでいたのが、世界中のデータベースから法情報を集めるようになったのがついこの間のことだった。今は、海外旅行の航空券、ホテルの予約から、洋書の注文まで全部インターネットのお世話になっている。マイラインの電話でどの「インターネット電話」を選ぼうかというのが、ここ数日の悩みである。ネットワークバンキングをどこにするかもまだ決めていない。

 この本では、このインターネットの移り変わりを理解し、これからの変化を予測できる手がかりになるようにと、インターネット初期の素朴な法律問題から、現在のインターネットが社会へ与える影響へと書き進めてきたつもりである。普段、マスコミで目にする問題はあまり出ていないかもしれない。それらの問題点の多くは、インターネットの問題ではなく、従来からの問題が社会のインフラとしてのインターネットに載るようになっただけに過ぎない。
 私の友人には三組、インターネットで知り合って結婚した夫婦が居るが、マスコミの表現では「出会い系サイト」は不倫と援助交際の巣窟になってしまう。オークションサイトで違法な物が売られるとそれだけで記事になるが、別にインターネットでなくとも売られている物である。すべて「オフラインで違法なものはオンラインでも違法である」の一言で済ませ、インターネット固有の問題が生じない限り言及していない。それよりも、インターネットがなぜ、どのように社会に影響を与えるのかを描くことに力を入れたつもりである。

 「ネットユーザーの危ない現実」という書名で一番に連想するのは、ネットワークのセキュリティ問題かもしれない。私も自宅のルータを通じて、気が付いただけで少なくとも三人のハッカーの訪問を受けている。訪問者を追いながらセキュリティの問題を勉強しているのだが、難しくてなかなか対処できていない。その意味では内容と表題に若干ずれがあるかもしれないが、出版社にお任せした。
 法律問題としてインターネットユーザーが危ないとすれば、ユーザーのインターネットに対する無理解と法律に対する無理解である。しかしそれは、インターネットユーザーだけでなく、法律家やマスコミを含んだすべての人にいえることである。正直、法律家もインターネットにどう対処すればいいのか、一所懸命に考えているところなのだから。
 その意味では、「ネットユーザー」の一番「危ない現実」は、既存のメディアから正確な情報を得ることが出来ない点にあるのかもしれない。

学生にいつも言っている言葉がある。

「インターネットのことはインターネットに聞け。」

 活字やニュースになるときには、インターネットは既に先に進んでいる。 その意味では、この本の内容すら時代遅れなのかもしれない。それくらい早くインターネットをめぐる状況は変化している。