-第7章- 情報の流通にもたらされた衝撃(1)

    情報の流通

 「情報」とその「流通」という意味で、少しまとめてみよう。  デジタル化とそれによって引き起こされたマルチメディア化、さらにはインターネットによる「情報の流通」が、CDショップや本屋という規制の流通経路を根本から変えてしまう可能性(第五章)、さらには「金銭価値の情報」がインターネットにのることによる金融機関の変貌の可能性(第九章)を指摘した。また、情報を一番蓄積している者としての国家機関の情報公開(第一〇章)と、その情報の適切な利用(第一一章)が重要になっている。インターネットにより世界中の個人と個人、あるいは個人と組織が直接に結びつくことが可能になり、そのことは「国」の概念すら再考することを求めつつある(第二章、第九章)。

− 双方向性

 インターネットの双方向性は、個人を情報の「受領者」から「発信者」に変えつつある。マスメディアが独占し、編集者の意向でその内容が決まる一方的な「情報」を受け取るしかなかった「個人」が、自らウェブサイトを立ち上げ、著者兼編集者兼出版者として情報を発信するようになった。その情報を「個人」が仲介者無しで直接閲覧し、人気サイトが育っている。その意味では、この分野の「情報の流通」を仕切ってきたマスメディアを通さない情報が流れるようになった。

 まだまだ世界には多いのだが、国家による情報コントロール、思想統制がなされている国では、従来のようにマスメディアのコントロールだけでは表現の自由を抑えることが困難になっている。衛星放送が東西の壁を壊してしまったように、インターネットが教条主義的な国家を壊してしまう可能性があるという意味で、「個人」が「匿名」で直接に情報発信をできるインターネットの与える影響は小さくない。

− 個人の情報発信 告発サイト

   日本でも「告発サイト」のように、個人がインターネットを利用することにより、従来マスコミで採り上げられ無い限り問題にならなかったようなことがらも、「社会問題化」することができるようになった。

 ウェブサイトに録音した電話の会話を載せて話題となった東芝事件のように、「消費者」対「大企業」のケースでは、弱者としての「消費者」が強者としての「大企業」を告発したため、比較的好意的な見方が多かった。しかし、「大企業」が「個人」、「個人」が「個人」を攻撃するサイトもありうるし、編集者という第三者を介しない分、節度が守られない危険性が常に存在する。従来型のマスメディアの情報は、プロの情報処理を介している分、情報の信憑性、発信の仕方・マナーに関しては、安心できるものがあった。
 国家もマスコミも通さない一次情報が直接に流通する時代は、国家やマスコミのバイアスを通さずに、世界中の情報を得ることができるという意味では、人類史上初めての素晴らしいことである。しかし、その反面、その情報の信憑性や価値を情報の受け手が権威によらず自ら判断しなければならない時代が来たことも意味する。

東芝製電子内視鏡問題のページ
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