-第2章- メールをめぐるトラブル プロバイダの責任(2)

    「匿名性」とプロバイダの責任

 しかし、ここで一つ大きな問題が残っている。

− 匿名性の問題

 パソコン通信では、ハンドル名と呼ばれるあだ名を使って書き込みや会話がなされることが多い。例えば、男性が女性のふりをして書き込みをするといったように、現実の自分と異なる姿で参加することもできる。この「匿名性」から、告訴するにしても民事裁判を提起するにしても、相手が誰かがわからないのである。結局、パソコン通信事業者に聞くしかないのだが、パソコン通信事業者は電気通信事業者として電気通信事業法の適用を受け、検閲の禁止、通信の秘密の保持が義務付けられている。例えばNTTに電話番号を元に契約者の氏名・住所を問い合わせても教えないのと同様に、ハンドル名から契約者の氏名・住所を教えることには問題が生じる。

 平成十年に社団法人テレコムサービス協会事業者倫理委員会が作成した「インターネット接続サービス等に係る事業者の対応に関するガイドライン」(業界が作成した指針)によれば、第一九条で「事業者は、利用者に関する問合せを受けた場合、利用者本人であることを確認できるときにはこれに応じるものとし、利用者本人以外の者からの問合せであるときには原則として応じないものとする。」としている。個人からの照会にはまず応じてもらえない。さらに第一八条で「事業者は、警察官、検察官、検察事務官、国税職員、麻薬取締官、弁護士会、裁判所等の法律上照会権限を有する者から照会を受けた場合、書面の呈示を求めるものとし、記載事項等を確認のうえ、照会に対して必要と認められる範囲内で協力することができる。
 ただし、緊急避難または正当防衛の場合を除き、以下に掲げる通信の秘密に属する事項等を開示してはならない」として、通信の存在及び内容、通信当事者の氏名、住所または居所、通信当事者の電話番号、FAX番号、メール・アドレス等の通信ID、通信日時を挙げる。この中の緊急避難または正当防衛の場合として、解説では自殺予告を例として挙げている。

 これでは、個人が相手方を特定するのは非常に困難である。この事態を受けて、総務省郵政事業庁(旧郵政省)は第三者機関としての「発信者情報開示機関」を置くことを考えている。電気通信事業者等とは別に、公正・中立な「発信者情報開示機関」を設け、適正な手続により被害者に発信者を開示する制度である。開示の要件として、「反復継続した発信又は大量若しくは大容量の発信を行う行為」「他人の個人情報を、その者の許諾なくして不特定又は多数の者に受信し得る状態に置く行為」「他人の名誉を毀損し、又は侮辱する事項を不特定又は多数の者に受信し得る状態に置く行為」が考えられている。また、単に発信者情報を開示するだけでなく、助言や仲介、発信者本人に対する開示の意思の有無の確認等が考えられている。

「情報通信の不適正利用と苦情対応の在り方に関する研究会」報告書
http://www.soumu.go.jp/joho_tsusin/pressrelease/japanese/tsusin/990201j501.html


− プロバイダの責任

 パソコン通信(オンラインサービスプロバイダ)でのメールの問題を述べてきたが、インターネットに視野を広げると、もう一つ難しい問題が出てくる。パソコン通信あるいはインターネット接続業者(インターネットサービスプロバイダ)を利用してインターネットに接続する場合、その会員はそれぞれプロバイダと個別に契約を結び、その契約内容(利用規則、会員規約等)によってある程度管理することができる。それぞれのプロバイダ利用者内での問題であれば、それは、閉鎖的な会員集団であるから契約に基づいたローカルルールによって処理されることができる。しかし、インターネットはこういったローカルなネットワークを結びつけたもので、いったんインターネットに接続してしまえば、世界中のサイトに飛ぶことができる。そして、このインターネット全体を管理する機構はない。

いくつか例を挙げると判りやすいと思う。

(ケース一)ある大学生が、自宅のISDN回線からOCNに繋いで、そこからあるウェブサイト入り、その中の掲示板で誹謗中傷行為をした。

(ケース二)ある大学生が、自分のノートパソコンを教室の情報コンセントに繋いで大学のサーバに接続し、そこから、あるウェブサイト入り同様の行為をした。

(ケース三)ある人がアメリカのインターネットカフェから、あるウェブサイト入り同様の行為をした。

 パソコン通信(オンラインサービスプロバイダ)の場合との違いを考えてみよう。パソコン通信の場合は、最初にログイン名とパスワードを入力して会員であることの認証が必要になる。これは、OCN等のインターネットサービスプロバイダ(インターネット接続業者)でも同じであり、他人のID、パスワードを利用した不正アクセスでない限り接続者を特定できる。パソコン通信は、会員間の通信のためのローカルネットワークであり、管理する人がいる。しかし、インターネットは一度接続してしまえば、そこから世界中のローカルネットワークのサーバにアクセスすることができる。ケース一のように認証するプロバイダと不適切な行為がなされたサーバを有するプロバイダが異なる場合が多い。

 ケース二の場合、認証サーバが情報コンセントの先に入っていて、本人であることの認証を求める場合は格別、誰が情報コンセントに繋いだのかわからなくなる。
 さらにインターネットカフェの場合は、不特定多数の人がインターネットに接続したコンピュータを使うのだから、誰が利用したのかは全くわからなくなってしまう。
 さて、このように世界的に広がって、管理する人のいないネットワークで、一体誰が、どのように不適切な利用を管理すべきなのだろうか。しかも、その行為を行った人を特定するのが非常に困難な状況のもとで。

 そこで注目されたのが、情報の中継地点となるプロバイダである。インターネット利用者は必ずどこかのプロバイダを利用するし、また、管理することができるのはプロバイダしかないから、プロバイダに管理責任を負わせようという発想である。

 先に挙げた裁判の中で、ニフティサーブ(現「@ニフティ」)名誉毀損事件は、このプロバイダの責任が問題となった日本での初めての裁判である。東京地裁は、名誉毀損行為をしたと認定した被告のみでなく、掲示板(フォーラムの会議室)を管理していたシスオペ、さらにパソコン通信事業者(オンラインサービスプロバイダ)であるニフティに、損害賠償に関し連帯責任を認めた。ただし、契約上の責任としてではなく、違法な状態があって、それを知りながら放置したのは、契約上管理権を留保している以上、「条理(常識)」からみて、やはり不法行為責任を負うべきであるという考え方である。
 法的に見るといろいろな評価が可能で、プロバイダに責任を認めたことを否定的に受け止める人、契約責任を認めなかった点を評価する人、表現の自由とその規制のあり方で問題点を指摘する人等、さまざまである。

 この判例に関しては、絡み合ったネットワーク網であるインターネットのプロバイダとしてではなく、単純なパソコン通信のプロバイダとしての責任に関する判断であるが<とはいえ会員数は二〇〇〇年一月時点で四四二万人いる。

@nifty 最新公表データ
http://www.nifty.com/corp/data.htm

そこで示された法理は「条理」を根拠にしている以上、一般化される可能性がある。