-第2章- メールをめぐるトラブル プロバイダの責任(1)

    守られない「ネチケット」

「ネティケット」という言葉がある。

 ネットワーク上のエティケットという意味である。同じような言葉として「ネティズン」という言葉がある。ネットワーク上のシティズンという意味である。ネットワークの住人であるネティズンが持つべきネティケットは、さまざまなネットワークの制約からお互いに守るべき常識として育ってきたものである。

 例えばメールを送る場合、コンピュータの機種によって読めたり読めなかったりする「機種依存文字」を使わないという約束事がある。コンピュータは特定の番号(コード)に特定の文字を割り当てて表示させる。さまざまな機種のあるコンピュータやワープロで、この割り当てを共通化していなければお互いに入力した文字を表示させることができない。この共通のコードとして「アスキーコード」や「ユニコード」といったものがある。インターネット上ではさまざまなコンピュータが接続されているため、全員が読むことができる範囲内の文字で書くというのがマナーになる。
 また、引用しやすく、またユニックスコンピュータでも処理できるように、一行30-35字(半角60-70字)に抑えて行末に改行を入れる、半角カタカナは使わないといったような約束事もある。もちろん、こういった技術的なネティケットの他に、読み手に対する思いやりといった礼儀もその中に含まれる。

 インターネットが研究機関のネットワークとして、牧歌的な「インターネット村」の時代は、こういった約束事も暗黙のうちに継承されていたが、九〇年代初めに商用サービスに開放され、パソコン通信から始めた人がつながるようになり、さらに、モザイク・ネットスケープといったウェブブラウザ(ウェブサイト閲覧ソフト)の無償配布とその後のウェブサイトの爆発的な増加により、インターネット利用者が急増した。上に書いたようなネティケットを知る機会がなかった人も急増した。さらに、同質的な研究者のみのネットワークと違い、さまざまな人が利用するようになりトラブルも増えてきた。研究機関、例えば大学であれば、ネットワークで心無いメールや書き込み、さらにはクラッキングをした学生を学内で処分することも可能ということもあるのだが、一般にはそういった手段をとることができない。このため、メールや掲示版への書き込みに関するトラブルも、裁判になるようになった。(正直、黎明期のインターネットの方が今より議論は激しく、ネットニュースやメーリングリストでの議論から、分裂したり消滅したりは日常茶飯事だったように思う。法律問題になるほど裾野が広がり、さまざまな人がアクセスするようになったということだろうか。)

 まず、東京地裁平成9年5月26日のニフティ名誉毀損事件判決がある。パソコン通信の電子会議室での発言を名誉毀損と認定し、発言者およびシスオペ(後述)・パソコン通信運営会社ニフティに損害賠償を命じたものである。
 その後、東京地裁平成9年12月22日判決がある。PC?VAN(ビックローブ)のチャットログ(会話通信記録)を無断掲載し、発言者が拒否しているにも関わらず電子掲示板に掲載し公開したため、名誉毀損、プライバシー侵害、通信の秘密侵害、著作権侵害を理由に損害賠償請求したが棄却された。
 神戸地裁平成11年6月23日判決では、パソコン通信の掲示板で頻繁に発言していた会員(眼科医)の電話番号等の個人情報を別の会員が掲示板に書き込み、悪戯電話や悪戯の通信販売の注文で業務が阻害されたという事案で、損害賠償を認めた。(この判決では、プライバシーを「人格権」の一部として認めている。)

− パソコン通信

 いずれもパソコン通信の事案であるから、まずパソコン通信を簡単に説明しておこう。 研究機関以外のコンピュータのネットワークサービスで一般に利用できるようになったものは、パソコン通信が最初のものである。アメリカではオンラインサービスプロバイダ(OSP)と呼ばれる。大手としては「@ニフティ」や「ビックローブ」が有名であり、インターネットが普及する前は、さまざまな小さな「草の根ネットワーク」も存在した。

 掲示板機能を使った会議室とリアルタイムに文字の会話ができるチャットが中心で、一章で書いたユニックスネットワークとしてのインターネットとほぼ同じことができるようになっている。興味を同じくする人が集まる場所(「フォーラム」や「シグ」等呼ばれ、そこを管理する人をそれぞれ「シスオペ」「シグオペ」と呼んでいる。)
 大手パソコン通信は、インターネットの商用利用への開放以降は、インターネット接続業者(インターネットサービスプロバイダ ISP)としての機能も持つようになり、両者の境界が曖昧になってきている。
 掲示板への書き込みを含む電子メールによるコミュニケーションは、電話と手紙の中間に位置する便利なものである。手紙より早いし、電話と違ってお風呂から飛び出すこともない。しかし注意しなければならない点もある。メールは客観的な文字のみの通信で、書き手の意図から離れて客観的な文字だけがそこに残る。通常の会話は表情、声の出し方等でまったく意味が変わってくる。同じ「馬鹿!!」という言葉でも、笑いながら言うのか、怒りながら言うのか、客観的に言うのかでまったく異なってくるし、人間関係でも異なる。しかし、メールにしてもチャットにしても、使い込むようになるとほとんど条件反射で書いてしまうようになる。本来慎重になるべき手紙を会話のように書いてしまうようになるのである。手紙と同じように書くと硬くなりすぎるし、会話と同じように書くと意図しない形で受け止められることが多くなる。その意味で、一種独特の注意が必要になってくる。

 また、新しいメディアが出るといつもそうだが、つい新しいことを試してみたくなり、普通ではやろうとしないことをやってしまうこともあるようだ。同じように、普通とは違う効果が生じるのを意識しないでしてしまうこともあるようだ。例えば、レコードをカセットテープに入れて、友達にプレゼントするというようなことは、昔よくなされていた。これ自体著作権法違反として取り締まられる可能性があるのだが、アナログ時代で音質が劣化することもあり、それほど問題にはなっていなかった。しかし、ネットワークで音楽のファイルをダウンロードできるようにするとどうなるだろう。コピーとオリジナルの区別のないデジタル時代に不特定多数の人にダウンロードできるようにしてしまうと、お目こぼしは期待できない。

 例えば、東京の高校生が、市販のソフトウエアをインターネット上のホームページに無断で掲載したとして、著作権法違反(公衆送信権の侵害)で検挙され、札幌市の会社員の少年(18)が、CDの音楽を複製してホームページに掲載した疑いで、愛知県警が摘発されたりしている。

話をメールのトラブルに戻そう。

 先に挙げた、平成九年の名誉毀損事件では、会議室の書き込みで誹謗中傷されたとして裁判になったのだが、一般にこのような場合、どのような対応が考えられるのだろうか。 古くからのネットワーク村の住人がこういった場合に考えるのが、「対抗言論(モアスピーチ)」である。対等な言論・表現の場所が保証されているのだから、お互いに議論を尽くすべきという発想である。もっとも、ボランティアによる相互接続の学術ネットワークには、パソコン通信の意味での管理者がいるわけでもなく、これしか方法がなかったという面もある。議論が行き着くところまで行ってしまい、掲示板やメーリングリストが閉鎖されたり、参加者が別の掲示板等を作って移ってしまったりというのは、日常茶飯事であった。

 また、慣れたネットワーカーの場所であれば、逆に「ノースピーチ」という対応もされていた。場違いな発言、非常識な発言を無視してしまうのである。文字によるコミュニケーションの場である掲示板で、発言にまったく反応がなければ、ほとんどの場合、その発言者は参加しなくなってしまう。

 パソコン通信によって一般に人もネットワークに参加するようになり、こういった問題も表舞台に出て、裁判にまでなるようになった。それだけ裾野が広がったということだろうか。

 パソコン通信の場合は、個人がパソコン通信事業者(例えば「@ニフティ」)と会員契約をして、そのサーバを利用している。会員が守るべき会員規約の中には、他人の誹謗中傷を含んだ違法行為の禁止と違反した場合の措置が定められている。@ニフティの場合は、@ニフティ自身またはフォーラムを管理するシスオペと呼ばれる人による不適切な発言の削除がそれである。また、場合によっては会員としての資格の剥奪もありえる。こういった会員規約に基づいたパソコン通信内部での対処がまず考えられる。

 法的な対応としては、犯罪としての侮辱罪、名誉毀損罪に該当するような場合、警察に告訴することができる。オフライン(ネットワーク外の日常生活)で違法なことはオンラインでも違法である。むしろ、会話での侮辱や名誉毀損と違いログ(通信記録)が残るため、違法行為の証拠まで作ることになり、オフライン以上に犯罪の立証が容易である。日常生活ですべての会話が記録されるとしたら、慎重に言葉を選ぶはずだが、なぜかネットワークではこのことが忘れられがちである。

 また、刑事告訴と平行して、あるいは単独で民事裁判を提起し、名誉を回復するための謝罪文の掲示と慰謝料としての損害賠償を請求することもできる。